ターミナルケアとは終末期にどのような医療を受け、そしてまた、どこで医療行為をやめ、最期を迎えるかという人生の重要なポイントにかかわることです。
特に在宅で静かに最期を迎えたい場合には、事前に理解しておきたい、また、注意すべきポイントなどがあります。
「社会的入院」
という言葉があります。
例えば、普通の老衰でも、最後は救急車を呼んで病院で看取りが行われる、と言ったようなことです。
ややもすると、そこで救命行為が行われて、一命をとりとめる、ということも起こりえます。
これはどっちが良いのか? 賛否両論はあるかもしれません。
ここでは、在宅で、自然な最期を迎えることを望む場合の考え方について、考えていきたいと思います。
昔はみんな最期は自宅だった?
人が病院で亡くなる、というのが当たり前になったのは、
数十年来のできごとで、その前は、自宅でなくなるというのが主流だったようです。
ただ、現代では、葬式を出すのにも核家族化や近所総出での葬式という形式をとることができず、人手が割けなかったりという事情があり、
人を弔うためには、
病院~葬儀業者という流れが不可欠になっています。
そこでありがちな問題は、
本人が望んでいない延命措置や救命措置によって、ただ生きているだけという状態が生み出されかねないということです。
延命措置や救命措置、それ自体はよい・悪いもない、というよりはむしろ
良い技術であることは言うまでもありません。
ですが、それを望まない人へ望まないタイミングで施されてしまう瞬間が起こりうる。
その部分にだけ問題があると言えると思います。
それを防ぐためには、意識のあるうちからリビングウィルを残しておくなどの方法もありますが、
本人に意識の無い状態で、家族が意思決定のキーパーソンになった場合には、本人の意思が実行されない場合もあるようです。
家族にしてみれば、死にそうになっている本人を助けたいという一心から、というのも無理からぬ感情であることは否めません。
そうならないために、どのようなことが必要なのでしょうか?
人が死ぬリアルな行程を知る
人が自然に死ぬ、
その行程ってどのようなものなのでしょうか?
これを知れば、むやみに救急車を呼んだり、救命措置を依頼するようなことはなくなるのではないでしょうか。
何らかの病気の発作なのか、老衰の過程なのか、
それを判別できるようになるということです。
老衰なら、悲しいことではありますが、そのまま何もせず見守るということも、本人の意思を尊重することになる場合があるでしょう。
一般的な傾向にすぎませんが、以下に自然死の行程によくみられる反応を挙げていきたいと思います。
・尿量が減少してくる
・呼吸音が大きくなる(ゼイゼイという)
・倦怠感や、身の置き所の無さを訴える
・発熱
・手足が冷たくなる
・食べたり、飲んだりをしなくなる
・口が乾く
・多くの時間をぼーっとする、傾眠傾向になる。
・お迎えが来る、などと言う
さらに最期が近づいてくると
・唾液、タンなどが、のどに貯留し、息を吐くときにゴロゴロ音がする(死前喘鳴)
・尿がでなくなる
・一日中反応が少なくなってくる
・脈拍の緊張が弱くなる
・手足の冷えがすすみ、先が紫色になる
・冷や汗が出る。
・顔色が蒼白になる(顔にチアノーゼ出現)
・身の置き所が無いかのように手足や顔をバタバタさせる
などが起こるようです。
慌ててしまうこともありますが、
在宅を続けてきた方であれば、訪問看護の看護師さんにアドバイスを聞くなどして、死へ向かう自然な反応であれば、そのまま見守ってあげるという選択肢を選ぶことも可能でしょう。
病気と老衰の違いを知っておくことで、本人の意思を尊重し、自然な死を受け入れる準備ができるのではないでしょうか。
まとめ
さて、まとめますと、
ターミナルケアを在宅で最後までやり通すためには、
周囲の人間が準備、知識を得ておくことも必要
具体的には、
老衰など、人の自然死の典型的な行程を知っておき、
病気の症状と老衰を判別していくことになる。
もちろん
訪問看護の看護師さんなど、プロのアドバイスを得ながらにはなりますが、
見守るべき時にはそのまま見守って、見送ってあげる。
その時に周囲の人間があわてず、そして本人の意思を尊重できるよう
自然死の行程における本人のたどる過程を知っておこう
ということでした。
一昔前は、人の自然死の過程を目にすることは普通のことだったのかもしれませんが、この現代では、それを目にする機会はほぼ無いと言ってよい環境だと思います。
あらためて学習しておき、様々な機会で、ベストな判断ができるように情報を得ておいてはいかがでしょうか?