おひとりさまの時代
時は、高齢者全盛の時代 と言ってよいと思います。
65歳以上の占める人口の割合が21%以上になると、
正式には超がついて超・高齢化社会と呼ばれるそうです。
日本はもちろんこれに当てはまっています。
それだけでなく、2020年に日本は
この率において、世界一を記録しました。
2050年ぐらいまで、どんどん上昇していくとの予測も出ています。
寿命は男性は80才超え、女性なら85才超えが当たり前になってきています。
それに少子化。
生涯結婚しない、生涯未婚率も上昇しており、社会の形がどんどん変わってきています。

結婚しても、教育費や、非正規雇用、また老後の心配から子供がいないままの状態を選ぶ人たち、
また、子供がいたとしても、家族のあり方が変化し、子供が親の介護をする、といったことが当たり前ではなくなっている世界。
二人暮らしであっても伴侶に先立たれれば一人になってしまうパターンも多いでしょう。これが一番ポピュラーなおひとりさまのパターンと言えそうです。
老後のおひとりさま
老後のおひとりさまという状況は、誰にとっても身近なものとなってきているのではないでしょうか?
もはや他人事ではなく、誰にとっても身近にあり得るということです。
ただ、別段ひとりで気ままに暮らしていけるのであれば、気楽で一番いいだろう、などと思えなくもありません。
一方で、一昔前に流行語大賞にノミネートした
「終活」という言葉
聞いたことがある・知っている人も多いのではないでしょうか。
しかし、実行していない人が9割といいます。
聞いたことはあるがよくわからない、というのが正直なところではないでしょうか。終活とは何をすることなのか全貌が見えないという方も多いと思います。
で、何が問題なの?
ひとつ、具体例を挙げてイメージしてみましょう
例えば、もし認知症を発症したら、
おひとりさまが認知症になった場合、他人の手を借りずに生きていくのは困難になってきます。
というのも、記憶障害、実行機能障害、理解・判断能力、見当識障害、などと呼ばれる障害が出てくるからです。
例えば、
ものを思い出せないことに始まり、
計画や段取りを立てて行動ができなくなったり、
家電・ATMが使えない、時間・場所、人との関係がわからなくなるなど、
日常生活を送るうえで必要な機能が失われていくからです。
厚労省の資料によると65歳では1.5%という数字ですが、80歳以上になると22%、85歳では44%という数字が出ています。
平均寿命まで生きたとすると、5人のうち1~2人は認知症になっている
ということです。
実際に私自身も遠い先のこととしか思うことができず、寿命だってどうなるかわからないのが正直なところで、完全に他人事でしかない、という感じでしたが、
いざ、そうなった時、
・生活支援(買い物、外出)はもちろんのこと、
・財産はどうするのか、
・一人ぐらしで病気になったり、介護が必要になったときのこと
・持ち家がいいのか? 賃貸? 老人ホームへ入居などの事態になったら?
・死んだ後の葬式のこと
・いろいろありそうだけど、お金をどうしよう?
などなど、いろいろな心配が出てきます。

その準備を前もって始めるというのが「終活」である、そんな理解の仕方もあるのではないでしょうか。
ひと昔前であれば、人が動けなくなった時の世話や、死んだ後のことは家族が行うことが当たり前でしたが、
今となっては、
家族がいない「おひとりさま」という
最期のライフスタイルも
ありふれたものとなってくるでしょう。
また、家族に迷惑をかけたくないという動機のある方にとっても終活の重要性は増していくことと思われます。
そうなると、
血縁関係のない他人の手を借りて人生の最後の幕を閉じる。
これがおひとりさま終活の要諦となってくるように思います。
おひとりさまは、いかに他人(=知人、行政、民間業者)に頼れるか、という問題を抱えているということになります。
では、
行政や民間のサービスに頼るとして、おひとりさまを助けとなるどんなサービスが世の中にあるのでしょうか?
その中で、まず、つまづきがちなのが、難しい名前の制度や、仕組み、その使い方、の問題があります。
老後の医療や介護に関しては、様々な制度やそれにまつわる手続きがあるのですが、
普通よく知らないですよね。
通常の生活の中で、そういったことに触れたり、考えたりする機会はなかなかないと思います。
調べ始めると、なじみのない単語や、すぐには意味の分からない制度などが、たくさんでてきます。
今までそれを教わる機会がなかったのだから、当然ともいえます。
では、これからは?
教わる機会というのはやっぱりないでしょう。
日本では、「申請主義の原則」というものがあります。
申請しないともらえない
この日本の制度は原則的に「申請主義」といって、年金をはじめ、公的な補助はすべて自分で情報を得、申請をしないともらえないものが多いです。
基本的な年金ですらそうなのですから、
老後の介護や医療関係のことも多くのことがこの申請主義に基づいています。
自分の利益になることは、その情報を自力で知り、申請方法を実行しないと、得られなかったりすることが多いのです。
知らないともらえないということは、情報力や検索力がものを言うわけですが、
そもそも介護や医療は老後にお世話になるもので、若いうちや、健康なうちは学ぶ機会がないのが普通です。
新しいことや分かりにくい、これらの制度には、ほとんどの人が老後に直面し、
初めての体験(よくわからない!)をすることになります。
老後にこの膨大な情報戦を新たに生き抜いていくというのは非常に厳しいことです。
公的なしくみ・制度や施設を使いこなすだけでも、
老後から始めたのでは、情報不足なだけでなく、
足を使っての見聞を広めることや、調べる気力不足もネックになってきそうです。
医療や介護についての終活情報は、できるならば、40~50代ぐらいから学んでいく方がいい、というぐらい膨大で、ややこしい情報があふれているのがこの医療、介護の分野の制度です。
事前の準備や勉強がものをいう世界だと思います。
そのようなことは、今までは、そこまで必要性のあることではありませんでした。
ですが、超高齢化やおひとりさまという問題に、社会が初めて直面したことにより、そこに生きる我々も、初めてそれを考えることになってきています。
自分で調査、勉強をしておかないと基本的なセーフティネットに引っかかることすらできない場面も出てくるでしょう。
調査って言ってもどうやるの?
という声もあるかと思います。
施設を見学に行って比較したり、世の中にどんな介護サービスがあるのかを調べたり、死後のことを委任できる業者のことを尋ねたり、
それこそ多種多様な行動、いろいろと調べたり、比較したり、足を運んだり、実行していくことが終活には含まれます。
終活はできるだけ早いうちから始めたほうが良い理由は、このようなことです。
とは言ってもいつ頃からはじめたものか、よくわからない場合もあるかと思います。
では、
そういったことを調べ始めるのはいったいいつからが適切なのでしょうか?

いつからやるか?
ここではズバリ40代、50代からを推奨していきます
理由は練習できるから。
老親の終活を一緒に進めることで、2回体験できるということです。
もちろん、そういう環境に該当しない方へ向けても、このなじみのない終活というものをわかりやすく紹介していけたらと思います。
私自身も、実家の父親がパーキンソン病を発症したことがきっかけで、介護、そして終活へ目が向くきっかけとなりました。
世話をする母の姿、また、それが終わった後、残された母は、それはそれで、年金収入が半分以下でどうやっていくのかなど、
自分自身が実家を離れて暮らしており、遠くて自分自身も手を出せない中、
ITスキルも免許も持たない親が、交通の便もあまりよくない地方で暮らしていくのを、どのようにサポートしていったらいいのか?
(本人は問題はないと言っているが…)
両親は、「お金ならあるし、迷惑はかけない」と言ってくれてはいますが、
そうはいっても…、という気持ちもあります。
何より、自分もいつそうなるかわからないし、
子供もいないし(たぶん今後も)、
おひとりさまになったらどうしよう? と本気で思っている一人でもあります。
この終活、おひとりさまという問題は、全く他人事でないと気づかされたということになります。
だったら、この親の終活にかかわっていくことで、一回練習してしまおう、というちょっと邪な考えを抱きつつ、
ただ、押し付けにならないように、自分も学びながらどのように関わって行ったらいいか?
というお題について、いろいろ心配ごとを抱えながら、
いろいろと調べたり、考えたり、行動していこうと思っています。
終活のゴール
とは、なんでしょうか?
ここでは、
それぞれの人が自分に応じた選択肢を選びとり、
自立して過ごせるようになること
と提案したいと思います。
健康状態、お金の問題、など一人ひとりベストな選択が違ってくるのは当然です
持病がある人、事情があって年金を払ってこなかった人、老後までローンを抱えてしまった人、などなど
いろんな心配、悩みごとは人それぞれだと思います。
自立するとは、
・身体的自立 - 健康、歩いて買い物ができる、介助なしでトイレ・お風呂ができる、など
・経済的自立 - 貯金をしている、無理なローンを組まない、生活保護の申請を知る、など
・生活的自立 - 料理、身の回りの家事がひととおりできる、ゴミ屋敷にしない、など
・精神的自立 - 一人を楽しめる余裕、他人に依存しすぎない、コミュニケーション能力、など
などのような具体的な能力や、自己管理の成果であったりします。
それぞれの課題がある中、
その中でどのように自分の人生を終えていくかを、自力でデザインし、死後まで描ききる。
それを常識として身につけなくてはならない時代になってきているのではないでしょうか。
自立したおひとりさまを目指し、生きている間のことはもちろん、
死後のことを生前にやっておくというエチケットを身に付けていきたいものです。
人の問題(金持ちより人持ち)
立つ鳥跡を濁さないためには、知恵といくらかのお金、何より長期戦略が必要となります。
その上で、もっと言えば
おひとりさまどうしが手を組めるのであれば、何倍ものパワーを得ることもできます。
金持ちより、人持ち、などと言われたりもします。
老後に、人とのつながりをどう作っていくかという問題です。
お金を払えば、いろいろなことをやってくれる業者やサービスはあります。
一部はそういうものに頼っていくことも必要ですが
お金や能力が多少足りなかったとしても、
人とのつながりで、助け合って、
この人生を共にやり抜く、やりきる間柄として支え合う。
(お金の融通は難しいが、情報交換、声のかけあい、緊急時にはしかるべきところへ連絡してくれる、など)
そんな関係が作れたら安心ではないでしょうか。
外のコミュニティとのつながりは大きなきっかけをもたらしてくれるため、特に重要になってくるでしょう。
例えば、
・動けるうちは仕事をする。
・行政で開催しているイベントや、ボランティア活動、
・民間のシニアサークルなど、
ちょっと無理してでも、エイヤッと飛び込んでみる勇気や努力も必要かもしれません。
心配ごとや興味、利害の一致する同じ境遇の人たちとなら、
話のきっかけを作ることもそう難しくないはずです、
血がつながっていなくとも、おひとりさまは、「お互いさま」の精神で、
迷惑をかけ合うことのできる関係を作っていきたいものです。
億劫がらずに、外界とのつながりを自ら断ち切るようなことは極力避け、かかわりを持つ気概を失わずいきましょう。
できれば若いうちから、プライベートでの趣味・興味・関心を準備して育てていけたら
人生全体にとってもプラスになるはずです。

「おひとりさま」関係の著作の多い、上野千鶴子さんも述べておられますが、
特に孤立しがちなのは男性のようです。
つい、退職前の地位、肩書などを手放すことができず、虚勢を張ってみたり、指示口調になってしまったりなど、
かわいげのない・親しみが持てない行動をしてしまい、地域に溶け込めない。
または、
職場以外の活動や趣味が全くなかったため、職場を離れた知人、友人が
いない、作れない。
など、本人にとっては、変化が難しく、事態は深刻なようです。
こういう人、あなたの身近にもいたりしませんか?
先のことを考えると、ちょっと笑い事ではすまなくなってくるかもしれません。
孤独は、一説によれば、喫煙と同じぐらいの健康リスクを生むともいわれています。
孤独が病気の原因だとしたら、ちょっと怖いことですよね。
ただ、そう言われると、ホントにそんな気もします。
一方で、女性は周囲とのコミュニケーションが上手で、人付き合いの問題は男性と比べて、抱えることは少ないようですが、
女性にありがちな問題としては、平均的に男性より長生きするため、夫に先立たれるケースが多いということです
その場合、夫の年金が入ってこなくなり、収入が以前の半分以下になってしまうというお金の問題は重大です。家賃や水道光熱費は1人も2人の時とそう変わらなかったりしますので、一気に困窮してしまいがちなこと。
女性に多い骨粗しょう症から、ちょっとしたことでの骨折、それをきっかけにロコモティブシンドロームから、寝たきりへの移行。それ以降に介護にかかる費用の問題など。
老後の金銭面でのセーフティネットを知っておくことや、適切な運動と食事が重要になってきます。
何はともあれ、
おひとりさまであっても、
まずは2人、3人と、共生できる仲間が増えるほど、リスクは分散できます。
ともに歩めるメンバーの死期や動けなくなる時期がちょっとでもずれていれば
何とかなるかもしれない
などと気楽に、しかし本気で構えつつ、迷惑の掛け合える共生関係をつくり、おひとりさま達が徒党を組むことができたら、これからの時代の生き方の新しいスタンダードになっていくのではないかと思っていますが、いかがでしょうか。
世の中の多数派がおひとりさまなら、
もうこれが主流派なんじゃないか。
(と、開き直って言ってしまいたいと思っています)。
そもそも
人口が減少するということは、
単純に考えて、人的資源(リソース)が減るということです。
それは、人的リソース=人数が減るという風に単純化してみると、
今まで通りの核家族を維持するとして、世帯数が減らないで人数が減っていくならば、
必然的に、おひとりさま世帯が増える、と考えることができます。
おひとりさまが増えるのは当たり前のことなのです。
普通に考えて、煮炊きや光熱費の面など、ライフラインが一つにまとまって多人数が暮らせば、効率がいいことは言うまでもありません。
それをひしひしと体験し、感じたのが東日本大震災でした。
ここからは私の個人的な体験ですが、
震災の時は、7日間ほど停電と断水が続きました
とっさに、親世代と私たちの2家族が、親の家に集まりました。そこに水や食料などをそれぞれが集めてくるというスタイルで、いろいろと乗り切りました。電気がない中、ガスで煮炊きができたのも大きかったです。
(お風呂はボイラー=灯油)。
あの時はとても世帯がバラバラでは乗り越えられなかったと思います。
コンビニからも1~2日の間に食料がごっそり売り切れてなくなっていました。
財布から出した1万円を見つめて、「ホントはただの紙切れなんだな」と実感したのは初めてでした。貴重な体験でした。
また、煮炊きだけでなく、情報面でもそうです。
「あそこで水が汲めるらしい」だとか、
ガソリン不足で、どこのスタンドも大行列の中、
「今度あそこのスタンドにガソリンが大量入荷するらしい」
など、それぞれが情報を持ち寄ることで、ライフラインを維持する材料を得やすくなるなど、人的リソースというのは、非常に有効なのだな、と感じました。
まあ、一たびそれが過ぎ去ったら、また元の2つの家族に戻ったのですが。
この体験を踏まえて、考えたことがあります。
一人暮らしというのは、非常に恵まれた環境下における、ぜいたくな暮らし方であるのだな、ということです。
ただ、そうだからと言って、昔のように3世帯家族に戻そうといっても、それは現実的ではないでしょう。
新しい生活の形が求められていますが、今は答えがない。
そんな過渡期を迎えているのだと思います。
バラバラの人的リソースをどう組み合わせるか。あるいは、その他のリソース、お金、サービス、セーフティネットなどをどう組み合わせるなり、拡充して享受できるようにするか。
それをひとりひとりが、この過渡期において、それぞれ自分なりにカスタマイズする必要が出てきています。
おひとりさまになっても、引きこもることなく、人間関係に対する何らかのスタンスを維持し、
最期へ向けて周囲との関係づくりに臨んでいくことになります。
それが当たり前にできるような方法はどんなものであるか?
など、時代が進むにつれての知見や、新規性のある取り組みなど情報を収集・提示できたらとも考えています。
おひとりさまの老後の安心のために。